三菱崎戸炭鉱 4/5

外海を一望できる高い崖の海岸沿いに建つ「美崎アパート」。一坑と二坑の間には一大住宅街が広がっていたが、特に高台や崖の海岸沿いなど見晴らしのいい場所には鉄筋の4階建てアパートが建っていた。

建物の中にいても気持ちいい風と波の音は聞こえる。恐らくここに沢山の家族が住んでいたときも、みんなこの自然の音には癒されていたのだろう。

アパートの部屋は、既に部屋としての面影を殆ど残していない。そこに人の痕跡を感じることができれば、この世のものだと感じるが、ここまで人の息吹を感じないと、時空が歪んだ場所へ迷いこんだ感覚に襲われる。

美崎アパートの眼下には小さな入り江が広がているが、崎戸の海は透き通る青緑色をしていて、九州の外海のなかでもひときわ綺麗だった。

かつて木造の炭住長屋が所狭しと並んでいた土地には、今はただ風に吹かれる背の低い雑草が群生しているだけだ。高台には昭和小学校の鉄筋校舎が見える。

最盛期の昭和三十四年 (1959) には 51学級 2,720 人が学ぶ県下一、二のマンモス校だった。毎年校舎は増築されたが、それでも用地不足になったため、最後には鉄筋で3階建ての校舎が作られた。

鉄筋だったため唯一現存している校舎だが、机や椅子はおろか床や壁面すら残っていない、なかば建築途中のような内部からは、往時の子供達の元気な声はもはや聞こえなかった。

大量の土砂が流れ込み、床面が完全に乾燥した土に覆われてしまった1階の光景は、ともすると水害後の風景のようにもみえるが、崎戸のすがすがしい光と風のせいかそれほど凄惨な印象はなかった。

一坑に隣接するように建っていた、映画・芝居・集会行事のための厚生福祉施設「福浦館(崎戸劇場)」の映写室跡。操業時はこの近辺が最も賑わった繁華街だったが、今は入口の上にあったこの映写室だけが当時を伝える唯一のものになってしまっている。

福浦館のすぐ近くにあった、文化的サークルや結婚式場として使われた厚生福祉施設「共楽館」の外階段基部。2階はダンスホールになっていて、そこで生まれたロマンスを1階の結婚式場で成就させた人もいたようだ。

平和寮から南へ少し行ったところにある「崎戸塩水プール」の大プール。水槽の他観覧席やシャワー室も当時のまま残存している。長崎県の外海に連なる炭鉱島のプールはだいたいが海水をつかったプールだった。

平和寮の東側の丘の上にあった「東峰遊園地」には、雲梯などの遊技具が深い草に埋もれながらも残っている。この近くには「天真道場」もあった。

欲望が発展を生み、発展が次の欲望を生み、欲望の対象でなくなった場所から人は消え、静かな時間に還ってゆく。崎戸湾に反射する夕日に照らされてセピア色に染まる崎戸は、激動の50年間を癒しているかのようだった。

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