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三菱高島炭鉱端島鉱<軍艦島>
長崎県長崎市高島町
長崎県の南端、野母半島の沖合に浮かぶ海上炭鉱都市遺構。 閉山して30年が経つ島内は、崩壊する人工物と再生する自然の融合により、 圧倒的な美しさを放っていた。
三菱中ノ島炭鉱
長崎県長崎市高島町
軍艦島の隣にある炭鉱廃墟。明治年間に軍艦島より早く開発されるものの、 わずか数年で閉山した後、約100年の時を越えて今も残る悠久の廃墟群。 初期長崎でのみ使用されたコンニャク煉瓦の崩壊遺構や各種火葬施設など変わった遺構が数多い。
三菱高島炭鉱
長崎県長崎市高島町
近代炭鉱の祖、トマス・グラバーによって開発され、軍艦島の親会社的な存在だった高島炭鉱跡。 現在も島民はいるものの、島内には竪坑の遺構の他、無数の炭鉱施設、そして住宅関連施設が静かに眠っている。
池島炭鉱
長崎県長崎市池島町
長崎県のほぼ中央の外海に浮かぶ巨大炭鉱島の廃墟、池島炭鉱。 2006年現在、海外からの研修生の為に稼働されているものの、殆どの施設は廃墟化し、 また島民の離島により、街はゴーストタウンと化している。

UPDATE 07.AUG.2006

三菱崎戸炭鉱
長崎県西海市崎戸町蠣浦郷
バトロワ2のロケ場所にもなった長崎の崎戸炭鉱跡。 要塞を彷佛とさせる選炭場跡、 時代を感じさせる煉瓦造りの建物、 蔦に覆われた独身寮跡、 点在する遺構群がおりなす廃墟の交響曲。
三井三池炭鉱万田坑
熊本県荒尾市原万田
国指定重要文化財でもある熊本県の三池炭鉱万田竪坑櫓跡。
重厚に聳える沈黙の鉄骨とテーマパークを彷佛とさせる坑口跡、 廃墟のまま保存された周辺の遺構群、 三池闘争の舞台となった三池炭鉱の主力坑のひとつ。
向山炭鉱  
佐賀県伊万里市山代町久原
窯業でその知名度を誇る伊万里市が、昭和年間石炭で栄えていたことはあまり知られていない。 昭和38年(1963)閉山の向山炭鉱は10数社あった鉱業所のなかの一つ。 伊万里湾の浅瀬に残る積込桟橋の遺構は、摩訶不思議な光景を生み出していた。
旧国鉄志免炭鉱  
福岡県糟屋郡志免町
明治年間の海軍時代から国鉄経営の昭和39年閉山まで一貫して国営だった唯一の炭鉱。 周囲の施設は殆ど取り壊され、各種運動施設に生まれ変わってしまったが、 珍しいワインディングタワー形竪坑は、今も博多のシンボルとして聳えたっている。
住友奔別炭鉱
北海道空知支庁三笠市奔別町
北海道石狩炭田のほぼ中央に位置する奔別炭鉱跡。
構内爆発の爪痕が残る巨大要塞を彷彿とさせる竪坑跡は、 繁茂する植物たちの一大楽園と化していた。

UPDATE 15.JUL.2006

北炭幌内炭鉱
北海道三笠市幌内本沢町・唐松青山町
道内で最も早くから採炭が行われていた幌内炭鉱跡。
道内最古の坑道音羽坑、合掌型竪坑櫓と排気竪坑が織りなす櫓のハーモニー、 赤煉瓦が緑に映える変電所跡と瓦礫と化した屋外施設跡は、 炭鉱の全貌がわかる珠玉の遺構群だった。
北炭幾春別炭鉱錦坑
北海道空知支庁三笠市幾春別山手町
道内で現存する最も古い炭鉱竪坑遺構、幾春別炭鉱の錦坑跡。
幾春別川のほとり、小高い丘の林の中にひっそりと眠るその姿は、 閉山後50年の歳月を感じさせる趣のある佇まいだった。
三井砂川炭鉱第一竪坑櫓
北海道空知支庁空知郡上砂川町字上砂川
倉本聡のドラマ『北の国から』にも登場する上砂川炭鉱跡。
山高帽を被ったような無溶接の第一竪坑櫓は、 無重力実験に転用されていた中央竪坑櫓の閉鎖に伴い 惜しまれながらも2003年春、解体されてしまった。
浅野雨竜炭鉱
北海道空知支庁雨竜郡沼田町字浅野
かつての炭鉱町をダム湖にしたホロピリ湖の湖畔に唯一残る浅野炭鉱の遺構。
オーパーツ的でもある選炭施設の列柱は、繁茂する植物の中にその異形を潜ませていた。 夏の灌水期のみにその全貌を現す水没ホッパーはあまりにも有名。
羽幌炭礦鉄道羽幌炭鉱・築別炭鉱
北海道苫前群羽幌町字羽幌砿/字築別炭鉱
北海道の日本海側から入った山間にひろがる一大ゴーストタウン、苫前の羽幌炭鉱地区。 ほぼ完全な形で残る紅の竪坑跡、エッシャーの絵画にも通じるラビリンスな鉱業所の室内、 それは携帯電話の電波が全く通じない最果ての地に開いた、別世界への入口だった。
尾去沢鉱山
秋田県鹿角市尾去沢字獅子沢
光る怪鳥伝説や奈良の大仏金箔伝説をいまに伝える尾去沢鉱山跡。
1200年以上もの歴史を誇る大鉱山は、1978年の閉山から20余年、 かつては東洋一と言われた巨大選鉱所は、 年々崩れながらもその雄姿を東北の大地に晒していた。
松尾鉱山緑が丘アパート
岩手県松尾町八幡平
標高1000mを越える八幡平の麓に残る、雲上の失楽園、松尾鉱山跡。
東洋一の規模を誇った硫黄鉱山は、同時に日本一の鉱毒水を排出した。 かつて15000人の人々が住んだ緑が丘アパート群は、いまも東北の山奥に眠っている。
古河足尾銅山
栃木県上都賀郡足尾町本山
1550年の銅発見以来、日本の銅生産のリーダー的存在だった足尾銅山跡。 東洋一の規模を誇り、国内初の水力発電所建設等の裏で、 公害の原点、鉱毒事件を起こした足尾は今、自然回復の時を歩んでいる。
豊後森機関庫
大分県玖珠郡玖珠町大字帆足
大分県のほぼ中央、湯布院の近くに残る日本一の規模の豊後森機関庫。
扇形車庫と転車台の作り出す光景は、役目をおえて30年経った今も、 絶妙な美しさを放っていた。
旧国鉄・丸山変電所
群馬県碓氷郡松井田町大字横川
駅弁の釜飯で有名なJR横川駅からほど近いところに佇む鉄道変電所遺構。
二棟にまたがる煉瓦造りの建物の美しさは横浜煉瓦倉庫にも匹敵する。 現在は修復され、記念館として存続されている。
東京都港湾局専用線
東京都中央区晴海
潮風で真っ赤に錆び付きながらも堅牢な姿を誇示する春海橋。
年々少しずつ撤去されながらも残る軌道跡は、 在りし日のコンテナ埠頭の賑わいを連想させる。
西武鉄道安比奈線
埼玉県川越市大字大袋付近
埼玉県の川越、大塚駅から延びていた全長2km足らずの休止線、安比奈線。
かつては入間川の砂利運搬のために稼働していた軌道は、 武蔵野の穏やかな光に包まれて、今もなお再開の日を待っていた。
新潟交通線
新潟県新潟市関谷〜西蒲原郡月潟村
昭和初期、新潟市近郊で貨物及び人員輸送のため建設された単線路線。 <電鉄>の愛称で親しまれたが、モータリゼーションや経営不振から1999年全線廃止。 その廃線跡は再利用のめどがたたないまま、徐々に地域の風景に飲み込まれつつあった。
東京都水道局専用線小河内線
東京都西多摩郡奥多摩町氷川〜境
東京都の水瓶、奥多摩湖小河内ダム建設のために造られた工事専用線。 ダム完成後観光鉄道としての再利用を目論まれながら50年近くたった今日、 今だに観光客を運ぶ事がない軌道跡は、奥多摩の山奥でひっそりと眠っている。
大井川鐵道新金谷構外側線廃車輌群
静岡県榛原郡金谷町
昭和3年製造の旧身延線車輌をはじめ、 様々な鉄道廃車輌が留置された車輌墓地には、 自然に還元される鉄道車輌の儚さが満ちていた。 惜しくも2005年、殆どの車輌が解体されてしまった。
小河内観光開発奥多摩湖ロープウェイ
東京都西多摩郡奥多摩町川野
昭和30年代半ば、高度経済成長前夜の短い期間、 奥多摩湖の湖上僅か600mを行き来した2台のゴンドラは、二度とすれ違うことなく 今も東京の奥座敷にひっそりと眠っている。
旧米軍立川基地
東京都昭島市中神町
1977年米軍から返還された立川基地跡の大半は昭和記念公園及び自衛隊駐屯地として転用されているが、 一部西側の地区は現在も未転用のまま、敷地内には幾つかの施設が残存している。 因みに松任谷由実の歌に登場するランドリーゲートから見える煙突は洗濯工場のものではない。
川南工業浦ノ崎造船所
佐賀県伊万里市山代町立岩
戦時中は人間魚雷の製造工場でもあった、造船王川南豊作の工場、川南造船所跡。 穏やかな伊万里湾のほとりに横たわる巨大な廃墟は、 さながら古代遺跡を彷佛とさせる美しさを放っている。
東京プライウッド
千葉県木更津市木材港
惜しまれつつ、2003年春に解体された東京プライウッド工場跡
近未来の風景を連想させるその空間には、 他の産業廃墟にはない独特な空気が流れていた。

UPDATE 13.AUG.2006

飯田建材工業千葉支所
千葉県富津市宝竜寺
かつては東洋一と言われた巨大砂選機のある飯田建材工業。
千葉県のほぼ中央、富津市の山中にひっそりと佇むその姿は、 森の巨神兵といっても過言ではない。2004年の初夏、トラック積込トンネル以外の全ての施設が解体されてしまった。
根岸競馬場一等観覧席
神奈川県横浜市中区根岸台
東京湾が一望できる横浜の丘横にその雄姿をいまなお見せる根岸競馬場一等観覧席跡。 日本の馬レースの歴史は勿論、第二次世界大戦の歴史までも刻んできたその建物は、 70年以上たった今も異国情緒漂うハマを睥睨していた。
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