崎戸港の入り江の最奥にある崎戸橋を渡ると、崎戸炭鉱のメイン施設があった一坑地区が見えてくる。橋の眼下には限りなく澄み切った真っ青な海が広がっていた。
県道15号沿いから眺めるかつての一坑の心臓部。右が巨大な選炭工場、左の煙突が福浦発電所の煙突。
大規模だった選炭工場の基礎。一年中休むことのない炭鉱には、石炭を精製する課程で生じる様々な轟音が響き渡り、まるで「黒ダイヤの協奏曲のようだった(『望郷手帖 崎戸炭砿物語』)」そうだ。
人がいなくなって40年。今は無音の世界が広がっている。
天空から降り注ぐ光も、
組み上げられたコンクリの間から差し込む光も、
至る所に育つ植物とともに、かつての栄光を洗い流し、非道の全てを清め尽くすかのように輝いている。
選炭施設の横にある小さな施設の内部には、錨のマークがついた壺状のものが所狭しと安置されていたが、どうやらこれは炭鉱時代のものではないらしい。撮影をしているとアライグマが出迎えてくれた。最初は目を疑ったが、崎戸には野生のアライグマが結構いるようだ。
崎戸橋を渡ってすぐを右に曲がった道ぞいにあるイギリス積みの煉瓦が美しい「福浦坑捲座」。
福浦坑は三坑とも言われるが、元来は最初に出炭した一坑だった。その福浦坑の捲座は炭鉱の規模に対してかなり小さい印象を受ける。
屋根が抜けた内部はご多聞にもれず植物の楽園と化していた。
大正年間に建てられたものだが、画像左上の葉に隠れるように写る白い部分には「昭和十三年一月修理」の文字が彫り込まれている。
福浦坑の捲座と選炭工場の間からは、崎戸名物だった福浦発電所の二本煙突が見える。昭和三年(1928)築といわれる煉瓦製の煙突のてっぺんには植物が育ち、年月の経過を感じさせくれる。
蠣浦坑口近くの工作工場に隣接してあったボイラー室煙突。発電所ができるまでの短い期間、病院・事務所棟等の暖房や浴場のお湯のための蒸気を作っていた。一本だけスルスルと延びた煙突は『炭鉱節』の一節を思い出させてくれるような光景だった。
崎戸町歴史民族資料館の入口脇に残る「油倉庫跡」は、封鎖されているものの中部の施設も現存している。戦中には油も貴重な物資だったため、厳重な保管庫が用意されたという話を聞いた。
ぼたを運ぶ軌道が通っていた「末広ガード」。下には町道があったが、草と土に埋もれ、まもなく消えようとしている。遠くには美崎アパートが見える。
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