◆イベントを終えて◆
軍艦島は超近未来都市だったのか?それとも、監獄の島だったのか?
などと大げさなタイトルで始めたトーク・セッションでしたが、こうして人がいた時代の軍艦島のお話を伺ってみると、実際に住んでおられた方々にとっては実はそれほど特別な場所でもなく、誰もが知っている少年時代・青春時代があった島、そして誰もが感じるのと同じ故郷だったんだと思いました。
70年代初頭の日本には、坂本さんがおっしゃる「空が切り取られた風景」はまだ殆どありませんでした。そういった意味では特殊な環境だったのかもしれませんが、その事が生活や気持ちを大きく左右する、ということもあまり無かったのだと思います。
今回お話を伺ったお二人は、ともに青春時代を軍艦島でお過ごしになられた方々なので、そういった視点でのお話が中心でしたが、この島の成り立ちを考えれば、
例えば「組」と呼ばれた、下請けの仕事をされていた方からはどう見えたのか?
また軍艦島を経営していた三菱の方々は、この島をどう捉えていらっしゃたのか?
また島で働きながら島外者と言われていた、商店でお仕事をされていた方々にとっての軍艦島とは?
あるいは大陸から連れて来られて仕事をしていた方々にとっての軍艦島。
そして勿論、採炭をはじめ炭鉱労働に実際に従事された方々にとっての軍艦島。
それら様々な角度から見た軍艦島が集まった時に、この島の本当の姿が明らかになってくるのではないかとも思います。
そのネーミングが、インパクトがあるゆえに興味を持つ人が多いのと同時に、それゆえにマニアックな場所としても捉えられがちな軍艦島ですが、この島は決してマニアックな島だとは思いません。少なくとも日本の歴史で言えば、いにしえの古代史よりは遙かに、誰もが必要とし、考える価値のある今と未来がこの島には沢山眠っていると思います。坂本さんもおっしゃていたように、この島の資料は現在殆どありません。しかしこうしてその紐を少しずつ解いていくことが、同時に私たちの両親や祖父の時代という、ついこの前なのにあまり知らない自分のルーツを広い意味で知ることにもなるのではないかと思います。
沢山の方々にお集まり頂いた軍艦島トークセッションでしたが、特にいらっしゃった方々が皆さん、軍艦島や端島に対してはっきりとしたお考えを持っていらっしゃった印象です。
トーク終了後の短い時間で投げかけられた質問もかなり質が高く、軍艦島を考えることが、単に軍艦島にとどまらず、現在や自分に沢山のフィードバックがあることなのかと実感しました。
会場からの質問の中で、廃墟軍艦島と稼働していた時の端島の間に隔たりを感じるという内容のものがありました。確かに住んでおられた方々にとって、廃墟となった故郷をご覧になるのは忍びないお気持ちはお察しします。しかし、この島は近代社会が成立していく中での「光と影」−その両側面を合わせ持っています。そしてこれは軍艦島に限らず近代を支えた全ての産業遺構にいえることだと思いますが、軍艦島にとって廃墟のこの30年間というのは、そういった影の部分を洗い流す時間でもあったのではないかと思います。軍艦島がなぜ廃墟として残らなくてはならなかったのかを考えれば、自ずからそこには、近代以降の社会が何を目標に進んできたかも見えてくると思います。
操業していた時の方がいい、廃墟の軍艦島の方がいい、という分け方ではなく、その全てを軍艦島として受け止めて、新しい時間を考えることが、軍艦島が今に残してくれている最大の遺産なのではないかと思います。
今回は坂本道徳さんの日程から平日という開催日になりましたが、アンケートをはじめ休日の早い時間からというお声を沢山頂きましたので、次回イベント開催の際の課題とさせて頂きたいと思います。
最後に、今回のイベントの切っ掛けを作って頂いた OFFICE MIGI の伊藤さん、そのご友人の方々、特製カクテルに軍艦島ライスまで作って頂いた FREE FACTORY スタッフの皆さん、坂本道徳さん、中野哲夫さん、そして会場にいらして頂いた方々に、深くお礼申し上げます。ありがとうございました。
01.NOV.2006 オープロジェクト スタッフ一同