オー:それでは島内の生活や楽しかった事などをお聞きしたのですが

中野:小中の頃に屋上でゴロ野球っていうのをやるんですよ。で、ボールがたまたま落ちることがあって、取りに行くのも大変だけど、下にお兄さんが歩いていると、たまに投げ上げてくれるんですよ。

オー:9階までですか(驚

坂本:結構確立高く帰ってきましたよ(笑 「投げてやるんだ」みたいな、意地みたいのがあったんじゃないですかね。そういうのがこの島の気風としてあったと思いますよ。

 私が印象に残っているのはお風呂ですね。学校が終わる3時、4時位から2、3時間遊んでるんです。そこがみんなの裸のつき合いの場だったんです。
 ここに来る前に哲ちゃん(中野さん)と話したんですが、「坂本さん、、、隣、、、見た?」って言うんですよ。隣っていうのは・・・女子風呂ですね。(笑
 「どのへんやった?」「このへんやった」で、確かに穴があるんです(笑
 作りがベニヤなんで、ちょっと開ければ見えるんですよ。男性風呂と女性風呂では女性風呂の方が広いんで、沢山入っているんです。まあ、社交場が性教育も兼ねたと(笑

オー:今お話にあった男湯が狭いのは、炭鉱の人は職場で入って来るからですよね。

坂本:これは炭鉱のことを話さないとならないんですが、炭鉱マンは地下で石炭を掘ってるから、真っ黒になってあがってくるんですね。で、まず服のまま風呂に飛び込み、次の湯船で体を洗い、3つめの上がり湯を浴びて出てくるんです。炭鉱の映画などではみんな真っ黒で行き帰りしてますが、端島の場合は行きも帰りもみんすがすがしい顔をしてました。だから共同風呂の男湯には、子供と老人しかいないので、湯船が小さいんです。

中野:風呂に行くときに洗面器と石けんとタオルを持って、っていうのが今ではないので、そうやって行くことや、帰りに売店でアイスクリームを食べる、っていうことが、楽しみでしたね。



オー:楽しい思い出といえば学校なんかはどうでしたか?結構見晴らしがよかった学校だと思いますが。

中野:冬が寒くて、いつも椅子とモモの間に手を入れて授業を受けてましたね。給食支給が始まる前は弁当持参で、冷めちゃいますから、桐箱みたいのを学校で作って、それに湯たんぽを入れて、みんなの弁当を毛布にくるんで入れるんです。結構保温効果がよかったみたいです。

坂本:僕らの世代は殆どが昼になると自宅へ帰って、昼のメロドラマみながら食べて、また学校へ行くっていうのですが、浅間山荘事件の時は、昼帰った時に見て、学校終わって帰って来てもまだやっていたのが、もの凄く印象的でしたね。

で、哲ちゃんは給食も食べたの?

中野:3年間くらいは食べましたね。

坂本:僕は食べてませんね。

オー:閉山間近に建てられた体育館の1階に給食センターができて、一部の人だけが給食を食べたと聞いてますが

中野:そうですね。で、給食を配膳するのにエレベーターで上がってくるんですが、このエレベーターもそれまではなかったんです。

坂本:大きなエレベーターは炭鉱施設にありますけど、建物では島で唯一のエレベーターですね。軍艦島の海底炭鉱は地下600m位まで降りていくんです。今日ここへくる前に都庁へ行きましたが、っていうことは都庁の3倍位ですか?そういった技術を持っていながら、建物のエレベーターは閉山間際に給食用のがやっとできた、っていうのは、なんか矛盾みたいのがありますね。

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