島内にはテレビ、洗濯機、冷蔵庫の所謂“三種の神器”をはじめ、閉山当時(昭和49年)の生活を伝える遺留品が多数残存している。
あたかもこの島が、一瞬にして人が消えて時が止まった巨大な昭和のタイムカプセルのようだ。
ダイヤルチャンネル式テレビ
テレビは島内に残る残留品の中でも、数も多く最も目につく物のひとつだが、その殆どは
懐かしのダイヤルチャンネル式白黒テレビだった。
部屋によっては2台積み重なってるところもあり、当時の裕福な経済状況がうかがえる。
16〜20号棟 日給社宅
一層式電気洗濯機
島内に残存する電気洗濯機は、圧倒的に一槽式の洗濯機が多く、
メーカー的にはナショナル製のものが大半を占めている。
画像の様に回転ノブがついていて、ゴムローラーに挟んで脱水するタイプのものが殆どだ。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
ワンドア電気冷蔵庫
冷蔵庫はテレビや洗濯機に比べて、現在に近い形の物が多く残存しているが、
病院の中等には、電気式でありながら、木の扉が付いた、いわゆる氷冷蔵庫の形態を色濃く残した物も残存している。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
電気炊飯器
昭和30年代の家電普及時代に電気炊飯器もひろまったのだろうが、30号棟や日給社
宅など古い建物には、プロパンガスが普及する以前に使われていた竈の跡が、今も残
存している。
日給社宅
炬燵櫓
この木枠のなかに火鉢をいれ、上から布団状のもので覆って暖をとった懐かしの炬燵。
電気炬燵の普及もやはり昭和30年代だが、家電の早い普及率のわりに、島内には至る所に火鉢が発見できる。
端島小中学校
85鍵ピアノ
保育園内には小さな椅子や下駄箱の他、オルガンやピアノと思われる鍵盤楽器等が数多く残っている。
写真は今では珍しい、7オクターブきっちりの85鍵ピアノの鍵盤。
昭和30年代にYAMAHAが一機種だけ作っていたが、はたしてそれだろうか?
端島保育園
足踏式ミシン
被服室には大量の津上社製やジューキのミシンが残されている。
閉山後多くの換金できる品物はいわゆる盗賊に持ち去られて殆ど残っていないが、
テレビ及びミシンは至る所で確認できるのは不思議だ。
端島小中学校
パチンコ台
48号棟地下のパチンコ店にひっそりと眠るパチンコ台。
昭和40年代はチューリップ全盛の時代。画像では確認できないが、おそらく鉱員た
ちの疲れを癒したのだろう。
48号棟
ドル箱
ちなみに対岸の野母半島の南寄り、野母総合運動公園のふもとにある軍艦島資料館へいくと、
上記パチンコ店で使われていたドル箱をみることができる。
資料館内には操業時の写真や端島砿の石炭なども展示している。
野母崎軍艦島資料館