日本の伝統的な長屋造りと鉄筋コンクリートを融合させてできた珍しいアパート。
コンクリートと木のパーツが作り出すハーモニーは、今見ると新鮮で美しい。
16〜20号棟 日給社宅
大正7年 (1918 )〜昭和7年 (1932) 築。RC9階建(20号棟のみ6階建)。
16号〜20号棟は海側の大廊下によって繋がっていて、日給社宅と呼ばれた。初期
は16、17号棟のみ9階建てだったが、当時国内最高層のRC造アパートだった。
16号棟南側外廊下面
16〜20号棟 日給社宅
窓枠及び手摺は、潮風による腐食対策のためにすべて木製だった。
確かに破損によって無くなってしまってる部分をのぞくと、
全く手入れをされずに30年が経っているとは思えないほど当時の形のままきれいに残っている。
17、18号棟と光庭
16〜20号棟 日給社宅
各棟の外廊下は、複雑に入り組んだ島を行き来する公共的露地の役割を担っていたと
同時に、各部屋のプライベートスペースとしても使われていた。コンクリ製貯水槽
(画像中央下)をはじめ洗濯機や物干し台などがおかれていた。
19号棟南側外廊下
16〜20号棟 日給社宅
玄関は木製の引き戸で、いわゆる「土間」の作りになっている。土間とは日本に古来
から伝わる、室内に作られた外と同じ土地の部分で、特に日給社宅や30号棟の土間
は、居室との段差が高い作りになっている。
土間
16〜20号棟 日給社宅
台風の潮害を防止するための、海側の大廊下と居室棟の間に設置された、木製の防潮
扉。後期の建物の防潮には鉄の扉が設置されたものもあるが、この日給社宅は、徹底
的に木製にこだわっている。
防潮扉
16〜20号棟 日給社宅
各棟の間の光庭は大変狭いので、居室面を、階が上になるに従って後退する構造にすることによって、
日照の問題を解決していた。画像からも上層階にいくに従って柱が後退しているのがわかる。
17号棟北側居室面
16〜20号棟 日給社宅
近隣の香焼や高浜からの土を運びあげて作られたた屋上庭園には、畑やミニ水田まで
あった。写真左端の18号棟の屋上では、昭和41年 (1966) に収穫祭も行われていた。ちな
みに軍艦島には日本最古の屋上庭園 (旧14号棟の屋上) があった。
(右から)16〜18号棟屋上庭園
16〜20号棟 日給社宅
日給社宅の屋上には当時無数のアンテナや電柱が立ち並んでいた。
また19号棟の屋上には木造の弓道場もあった(画像の木片がそのなごり)が、
昭和10年 (1935) の端島神社火災の時には、ここに仮宮が設置されていたこともある。
19号棟屋上弓道場
16〜20号棟 日給社宅
1階は元来、島内に打ち寄せた海水のはけ階 (防潮階) として造られたものだったが、後に店舗などに使われるようになった。
かつては島の南端にあった遊郭が移転していた時期もあるが、昭和30年代には各種商店や食堂等が密集し、島一番の商店街を形成していた。
18号棟1階厚生食堂
16〜20号棟 日給社宅
詰所とは、会社が管理のために町内に設けた出張所のようなもので、島全体が三菱の
持ち物でもあった端島では、いざこざやもめごとなどは、警察沙汰になる前に、この
詰所によって殆ど解決されたという。
16号棟1階外勤詰所